社殿・文化財

尾上神社は、国の重要文化財である「尾上の鐘」と、古くから歌に詠まれている「尾上の松」があります。、江戸時代には、『播磨鑑』や『播州名所巡覧図会』にも紹介され、司馬江漢や伊能忠敬、勤皇の志士である清川八郎なども訪れており、多くの人が訪れる観光スポットとなっていたようです。また、境内にある「片枝の松」も有名です。

尾上神社の銅鐘

尾上神社の銅鐘

国指定重要文化財「銅鐘」(旧国宝)

高砂の 尾上の鐘の 音すなり 暁かけて 霜や置くらん(千載集)

の古歌に詠まれた天下に名高い朝鮮鐘で国の重要文化財に指定されています。

尾上の鐘に関して詳しくはこちらをご覧ください。

相生霊松「尾上の松」

境内には、謡曲「高砂」に謡われた、相生霊松「尾上の松」があります。 尾上の松は、古来から様々な歌に詠まれてきました。

一木かと見れば二木を二木かと見れば一木を雌雄のこの松   隆正

一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が育つ喜瑞は神社の象徴であると言われています。

「所は高砂の 尾上の松も年ふりて 老ひの波も寄り来るや
木の下陰の落葉かく なるまで命ながらへて
なおいつまでか生き松の それも久しき名所かな」

現在5代目の尾上の松

初代尾上の松は謡曲「高砂」に謡われた霊松で、太さ五尋に及び、地上一丈ばかりのところから男松・女松に分れ、女松は直に生えて中天にひろがり、男松は這って地につき、又上って地に這う。その上った間を華表(鳥居)として、諸人が参詣したといいます。
天正年間(約四百年前)には、秀吉の三木城攻めに対抗した毛利方の武将が、薪を取るために切り倒してしまい、枯死す。(その株は宝物館に保存されています)社殿も荒廃しましたが、その後、姫路藩主となった池田輝政や、本田忠政によって復興されました。

初代尾上の松

三代目尾上の松は、大正十三年天然記念物の指定を受けていたが、昭和二十四年に松食虫のため枯死す。樹令約四百年

三代目尾上の松

現在は、五代目尾上の松で樹齢約100年と言われています。

片枝の松

神功皇后のみあとをしたって枝葉ことごとく東に向って張ったといわれる。その形状は、あたかも龍のうずくまった様にて、千載霜におごる色深く、誠に希世の老松であったが、昭和二十四年枯死。現在は三代目である。

初代片枝の松 昭和22年撮影

宝物

東山焼

染付尾上鐘型徳利  
染付尾上鐘形水注

東山焼は姫路焼ともいわれ、文政年間におこったもので、染付や青磁を特色としている。姫路藩酒井家の御用窯として発達しました。作風は静謐で、その情緒ただよう美しさは、観る者の心に深い感銘を与えます。
尾上鐘型は尾上神社にある朝鮮型の釣鐘を模したものといわれ、この型の徳利はおそらく東山焼独特の型です。

尾上茶釜

播州高砂「尾上の釜」釣鐘の形で釜の正面に「播州」と「高砂」の文字があり裏側に「尾上」の文字がはっきり読み取れます。釜の両脇にわっかを通して吊るします。
落語 「竹の水仙」より
・・・「殿、このたびはたいそう風格のある釜を釣っていただきましたが、細川家伝釆のお宝で?」
「これは、何時のころからか当家に伝わる尾上釜と申して、播磨の国、いまでいう兵庫県加古川市の尾上神社にある鐘をかたどったものじや。正面に『播州、高砂』の二行、裏側に『尾上』の文字があってな、共蓋の摘みの形が朝鮮の鐘であることを顕しておる」
「と申しますと?」
「朝鮮の鐘は、日本のように釣って撞くのではなく、棒に差して撞くので、蓋の摘みのところに棒差し用の管がついているであろう」云々

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